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平成28年 松山市年賀交歓会にて
2016/01/21
平成28年1月4日に開催された、松山市年賀交歓会には大勢の市民の皆様、そして中村時広愛媛県知事をはじめ各界各層の皆様にご参加いただき、誠にありがとうございました。
年賀交歓会での挨拶内容(要旨)をご紹介いたします。
本年も皆様とともに「一人でも多くの人を笑顔に 幸せ実感都市まつやま」実現に向け頑張って参りますので、よろしくお願い申し上げます。
平成28年 松山市年賀交歓会市長挨拶(要旨)です。
皆さま、明けましておめでとうございます。
皆さま方には新年早々、大変お忙しい中、このようにお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。
関係団体の皆さま方、そして多くのご来賓の方をお迎えして、年賀交歓会が開催できますことを心から感謝申し上げます。
昨年は、市民や民間の皆さんと一緒に地域の宝を磨いてきたことが、目に見えて実を結んでいることを実感できる年になりました。
一昨年、道後温泉改築120年を記念し、温泉とアートを融合した「道後オンセナート2014」を地元の方々と開催しました。良いものは継続します。
昨年は写真家や映画監督として活躍されている蜷川実花さんをメインアーティストにお迎えしました。
5月にはラッピング市内電車をはじめ7月には浴衣、10月からは道後温泉本館など、道後地域が鮮やかに彩られました。
特に若い女性のお客様に好評をいただき、昨年末に、楽天トラベルの「ココロ潤う。おんな一人旅に人気の温泉地ランキング」で道後温泉が2年連続1位をいただきました。
10月末時点での道後温泉旅館組合での年間宿泊者数は、過去10年で最高の前年と比べて8%増加、道後温泉椿の湯、リニューアル後のイメージ図も発表されました。
建築界のトップランナーの一人で、日本建築学会の作品賞を受賞した、東京大学名誉教授、内藤廣先生にさまざまご提案を頂いています。外観は日本最古と言われる歴史を伝える飛鳥時代の湯屋のイメージで再現します。
浴室は、1階には男女それぞれ50人程度が入浴できる大浴場とそれに併設した露天風呂。2階には、本館にある皇室専用のお風呂「又新殿」を再現した特別浴室も設け、湯帳を着て古代の入浴が体感できます。
休憩室は、約60畳の大広間と5つの個室で、湯上りには給茶でおもてなしや、縁側から中庭を眺めて楽しめます。平成29年度に完成の予定です。
次は、大街道・銀天街の話へ移ります。
「中心商店街は宝です」 全国では、すっかり中心市街地が衰退してしまった所もありますが、昨年8月に、「ラフォーレ原宿松山」跡地に「アエル松山」が7年7ヶ月ぶりにオープンしました。オープンの前後で、通行客が倍増したのは嬉しいニュースでした。
※参考
【歩行者通行量(去年11月)】
アエル近接:32%増(約14,000人から約18,600人)
ロープウェー街南口:30%近く増加
大街道・銀天街:全調査地点(9箇所)で増加
【2015年分の土地路線価】
四国最高値・四国33市の中で唯一上昇
今後は、一番町交差点周辺の賑わいを線や面に広げていく必要があります。
一番町交差点周辺、松山市駅周辺、L字周辺の3つの拠点空間を相互につなぎ、一番町交差点周辺や松山市駅周辺の人の流れや賑わいを、中間地点であるL字周辺に波及させ、来訪者が歩き賑わう中心部を目指します。
「ラフォーレ原宿」は、東京の森ビルさんがお持ちの物件。森ビルさんは、東京の「表参道ヒルズ」や「虎ノ門ヒルズ」をお持ちの大きな、大きな会社です。「ラフォーレ原宿松山」が、残された唯一の地方案件でした。リーマンショックもありましたので、松山から撤退という話も事実考えられたそうです。
しかし、森ビルの前会長の森稔さんの愛読書は、小説『坂の上の雲』。松山市の「坂の上の雲のまちづくり」に共感され、松山の発展を願うという思いから、再開発を決断してくださいました。
市役所職員も粘り強い交渉に努めまして、今に至ります。中村前市長さんを始め、力を貸してくださった方々に心から感謝申し上げます。
ここで私の初夢を。
まちづくりは近い10年、20年ではなく、将来の姿を思い浮かべながら進めるもの。私は2050年の中心市街地の姿を思い浮かべています。
題して、「松山中心市街地2050(にーまるごーまる)ビジョン」
松山の特徴としてコンパクトシティが挙げられます。お城を中心として、オフィス、金融機関、学校、病院、商店街がコンパクトに集まっている。全国約1700市町村ですが、100分の1の割合、全国わずか17都市しか走っていない路面電車が走っている。この「コンパクトシティ」「公共交通」という宝を生かすべきです。
昔は郊外に住んでいたけれども、年をとってきて運動神経も落ちてきた、視力も落ちてきた、交通事故を起こしてしまってもいけないので、運転免許証を返上しなければならない。免許を返上しても路面電車を使って移動が出来る、買い物も便利だ、病院にも行きやすい。「お城の周りのマンションに住む」高齢者の方が多くなっていると聞いています。
「アエル松山」のオープンで知りました。1階、2階だとテナントは入りやすいのですが、上の階のテナントになると、集客は難しくなる。30年後の日本は、より高齢化が進んでいる。高齢化すると、医療・介護はより必要になる。3階・4階は、医療・介護のスペースに充てるのはどうでしょう。中心市街地に住まう人が増えてきますので、地価の比較的高い中心市街地ですから、高度利用。一軒家ではなく、マンションの形でしょう。大街道、銀天街というのは、アーケードがありますから全天候型。雨が降っても風が吹いても、暑くても寒くても、快適な場所です。歩いて買い物に出かけられる。
ある試算によると、20歳以上の日本人が、歩くのを毎日3000歩(約2キロです)今より多く歩いたとすると、糖尿病(と)、心筋梗塞(し)、脳卒中(の)などが起きにくくなり、年間約2700億円の医療費を節約できるということ(ですが、この健康法の実践に最適なところが松山市街地周辺なのです。)
中心市街地のそばには、堀之内がある。暖かくなると、梅が咲く、桜が咲く、また紅葉する、季節の移ろいが感じられる。見に行くと、自然に歩いている。健康になる。松山城も上がってもらいましょう。天気が良ければ、堀之内をスタートして、まもなくリニューアルの花園通り、まつ地下、銀天街、大街道。銀天街と大街道は、合わせて1キロちょっと。
綺麗になったロープウェイ街、平和通りは俳句の街らしく句碑がいっぱい。ひめぎんホールを左に曲がって、もうすぐそこには道後。川の流れと石畳「にぎたつの道」を通ると、そこは道後商店街。そして、道後温泉本館。ここまで、およそ4キロ。約1時間のウォーキングコースです。道後のお風呂に入って、今度は、路面電車で帰ってくるのも良いでしょう。
おじいちゃん、おばあちゃんだけでずっと居るのではなく、街が楽しいと子ども達もやってきます。「同居」も良いですし、近くに住む「近居」も良いですね。子どもや孫と疎遠になるより、同居や近居。
「少子高齢化」です。働いて、税金を納めてくれる人は減っている。高齢になって、お世話になる人は増えている。松山の特徴を生かした、コンパクトなまちづくりが必要です。(お話ししたように)私は「松山の中心市街地、2050年にはこうなっていればなぁ」という夢を持っています。まちづくりは、行政だけでやるものではありません。皆さんと一緒にやるものです。皆さんにも知恵を出していただいて、松山の「中心市街地活性化」みんなでやりませんか?
松山城を見ながらの日々、堀之内の散歩、
全天候型のアーケード商店街で買い物、
公共交通を生かしたまちづくり。
30年後、2050年を見越しながら
みんなで「コンパクトなまちづくり」「歩いて楽しいまちづくり」
「歩いて健康 まちづくり」やりませんか。
(松山の市街地部は)最も「松山の特徴」を「松山の宝」を生かせるまちづくりだと私は確信しています。もちろん、これは、中心市街地以外、郊外に住まう事を否定するものではありません。松山の北側にも、南部にも、東部にも、西部にも素晴らしい地域資源があります。また、そんな地域を結ぶ、郊外電車、バス、JRがあるのも松山の特徴です。
三津浜地区でも、地域住民が主体になって地域資源を磨き、まちを元気にしています。
三津浜地区については、小説を生かしたまちづくり『坂の上の雲』フィールドミュージアム構想のサブセンターゾーンの一つに位置づけられています。
具体的には三津浜の食文化のブランド化を推進するため昨年2月、第1回えひめご当地こなもんサミットをアイテム愛媛で開催し、愛媛県内でご当地こなもんグルメを提供する13団体が出展しました。2日間で延べ約17,200人の来場がありました。
7月から8月の土曜日には、地元の団体が水産市場で「シーフードバーベキュー」を開催され、予約で200名の定員が満席になる日も有り、好評をいただいています。
また、三津浜地区は、かつては、物資の集積・流通の拠点として」栄えた港町でした。戦災にあわず、今でも近代的建築物や町家など風情ある町並みが残っています。
三津浜にぎわい創出事務所「三津ハマル」では、三津浜地区の空き屋や古民家などの情報を基に「町家バンク」で所有者と入居希望者のマッチングをしています。平成25年~27年12月までに14件が成功しました。
ここで熊本市の「上乃裏(かみのうら)通り」を(画像で)紹介します。
ここは、20年ほど前までは、老朽化した民家が立ち並び、人通りも少ない路地裏でした。今では、100軒以上の町家が再生され、活気ある商店街に生まれ変わっています。古民家はかつての繭(まゆ)蔵を改装したお店で創業当時(22年前)はトタン屋根でした。現在ケーキ屋さんです。
こちらは、レストランです。(約15年前に)築100年以上の旅館を6つのテナントが入る複合商業施設へ改装されました。
三津浜でも昨年11月、古建築を改装した「三津浜ハンドメイドマーケット」がオープンしました。大正時代に建てられ使われなくなった旧濱田医院(産婦人科)を改装し、「小さなデパート」として12部屋を1部屋ずつ貸し出しています。
まちづくりは、継続して取り組むことが大切です。
今年も、みんなでまちづくりをいたしましょう。
現地・現場を大切にします。市民目線を大切にします。
困難なことに出会っても、前向きに。「幸せ実感都市まつやま」を目指して、今年も誠実に仕事を積み上げていくことを、私、野志克仁、お誓いし、新年にあたってのご挨拶といたします。
今年もよろしくお願いいたします。
(文責:野志克仁後援会事務所)
年賀交歓会での挨拶内容(要旨)をご紹介いたします。
本年も皆様とともに「一人でも多くの人を笑顔に 幸せ実感都市まつやま」実現に向け頑張って参りますので、よろしくお願い申し上げます。
平成28年 松山市年賀交歓会市長挨拶(要旨)です。
皆さま、明けましておめでとうございます。
皆さま方には新年早々、大変お忙しい中、このようにお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。
関係団体の皆さま方、そして多くのご来賓の方をお迎えして、年賀交歓会が開催できますことを心から感謝申し上げます。
昨年は、市民や民間の皆さんと一緒に地域の宝を磨いてきたことが、目に見えて実を結んでいることを実感できる年になりました。
一昨年、道後温泉改築120年を記念し、温泉とアートを融合した「道後オンセナート2014」を地元の方々と開催しました。良いものは継続します。
昨年は写真家や映画監督として活躍されている蜷川実花さんをメインアーティストにお迎えしました。
5月にはラッピング市内電車をはじめ7月には浴衣、10月からは道後温泉本館など、道後地域が鮮やかに彩られました。
特に若い女性のお客様に好評をいただき、昨年末に、楽天トラベルの「ココロ潤う。おんな一人旅に人気の温泉地ランキング」で道後温泉が2年連続1位をいただきました。
10月末時点での道後温泉旅館組合での年間宿泊者数は、過去10年で最高の前年と比べて8%増加、道後温泉椿の湯、リニューアル後のイメージ図も発表されました。
建築界のトップランナーの一人で、日本建築学会の作品賞を受賞した、東京大学名誉教授、内藤廣先生にさまざまご提案を頂いています。外観は日本最古と言われる歴史を伝える飛鳥時代の湯屋のイメージで再現します。
浴室は、1階には男女それぞれ50人程度が入浴できる大浴場とそれに併設した露天風呂。2階には、本館にある皇室専用のお風呂「又新殿」を再現した特別浴室も設け、湯帳を着て古代の入浴が体感できます。
休憩室は、約60畳の大広間と5つの個室で、湯上りには給茶でおもてなしや、縁側から中庭を眺めて楽しめます。平成29年度に完成の予定です。
次は、大街道・銀天街の話へ移ります。
「中心商店街は宝です」 全国では、すっかり中心市街地が衰退してしまった所もありますが、昨年8月に、「ラフォーレ原宿松山」跡地に「アエル松山」が7年7ヶ月ぶりにオープンしました。オープンの前後で、通行客が倍増したのは嬉しいニュースでした。
※参考
【歩行者通行量(去年11月)】
アエル近接:32%増(約14,000人から約18,600人)
ロープウェー街南口:30%近く増加
大街道・銀天街:全調査地点(9箇所)で増加
【2015年分の土地路線価】
四国最高値・四国33市の中で唯一上昇
今後は、一番町交差点周辺の賑わいを線や面に広げていく必要があります。
一番町交差点周辺、松山市駅周辺、L字周辺の3つの拠点空間を相互につなぎ、一番町交差点周辺や松山市駅周辺の人の流れや賑わいを、中間地点であるL字周辺に波及させ、来訪者が歩き賑わう中心部を目指します。
「ラフォーレ原宿」は、東京の森ビルさんがお持ちの物件。森ビルさんは、東京の「表参道ヒルズ」や「虎ノ門ヒルズ」をお持ちの大きな、大きな会社です。「ラフォーレ原宿松山」が、残された唯一の地方案件でした。リーマンショックもありましたので、松山から撤退という話も事実考えられたそうです。
しかし、森ビルの前会長の森稔さんの愛読書は、小説『坂の上の雲』。松山市の「坂の上の雲のまちづくり」に共感され、松山の発展を願うという思いから、再開発を決断してくださいました。
市役所職員も粘り強い交渉に努めまして、今に至ります。中村前市長さんを始め、力を貸してくださった方々に心から感謝申し上げます。
ここで私の初夢を。
まちづくりは近い10年、20年ではなく、将来の姿を思い浮かべながら進めるもの。私は2050年の中心市街地の姿を思い浮かべています。
題して、「松山中心市街地2050(にーまるごーまる)ビジョン」
松山の特徴としてコンパクトシティが挙げられます。お城を中心として、オフィス、金融機関、学校、病院、商店街がコンパクトに集まっている。全国約1700市町村ですが、100分の1の割合、全国わずか17都市しか走っていない路面電車が走っている。この「コンパクトシティ」「公共交通」という宝を生かすべきです。
昔は郊外に住んでいたけれども、年をとってきて運動神経も落ちてきた、視力も落ちてきた、交通事故を起こしてしまってもいけないので、運転免許証を返上しなければならない。免許を返上しても路面電車を使って移動が出来る、買い物も便利だ、病院にも行きやすい。「お城の周りのマンションに住む」高齢者の方が多くなっていると聞いています。
「アエル松山」のオープンで知りました。1階、2階だとテナントは入りやすいのですが、上の階のテナントになると、集客は難しくなる。30年後の日本は、より高齢化が進んでいる。高齢化すると、医療・介護はより必要になる。3階・4階は、医療・介護のスペースに充てるのはどうでしょう。中心市街地に住まう人が増えてきますので、地価の比較的高い中心市街地ですから、高度利用。一軒家ではなく、マンションの形でしょう。大街道、銀天街というのは、アーケードがありますから全天候型。雨が降っても風が吹いても、暑くても寒くても、快適な場所です。歩いて買い物に出かけられる。
ある試算によると、20歳以上の日本人が、歩くのを毎日3000歩(約2キロです)今より多く歩いたとすると、糖尿病(と)、心筋梗塞(し)、脳卒中(の)などが起きにくくなり、年間約2700億円の医療費を節約できるということ(ですが、この健康法の実践に最適なところが松山市街地周辺なのです。)
中心市街地のそばには、堀之内がある。暖かくなると、梅が咲く、桜が咲く、また紅葉する、季節の移ろいが感じられる。見に行くと、自然に歩いている。健康になる。松山城も上がってもらいましょう。天気が良ければ、堀之内をスタートして、まもなくリニューアルの花園通り、まつ地下、銀天街、大街道。銀天街と大街道は、合わせて1キロちょっと。
綺麗になったロープウェイ街、平和通りは俳句の街らしく句碑がいっぱい。ひめぎんホールを左に曲がって、もうすぐそこには道後。川の流れと石畳「にぎたつの道」を通ると、そこは道後商店街。そして、道後温泉本館。ここまで、およそ4キロ。約1時間のウォーキングコースです。道後のお風呂に入って、今度は、路面電車で帰ってくるのも良いでしょう。
おじいちゃん、おばあちゃんだけでずっと居るのではなく、街が楽しいと子ども達もやってきます。「同居」も良いですし、近くに住む「近居」も良いですね。子どもや孫と疎遠になるより、同居や近居。
「少子高齢化」です。働いて、税金を納めてくれる人は減っている。高齢になって、お世話になる人は増えている。松山の特徴を生かした、コンパクトなまちづくりが必要です。(お話ししたように)私は「松山の中心市街地、2050年にはこうなっていればなぁ」という夢を持っています。まちづくりは、行政だけでやるものではありません。皆さんと一緒にやるものです。皆さんにも知恵を出していただいて、松山の「中心市街地活性化」みんなでやりませんか?
松山城を見ながらの日々、堀之内の散歩、
全天候型のアーケード商店街で買い物、
公共交通を生かしたまちづくり。
30年後、2050年を見越しながら
みんなで「コンパクトなまちづくり」「歩いて楽しいまちづくり」
「歩いて健康 まちづくり」やりませんか。
(松山の市街地部は)最も「松山の特徴」を「松山の宝」を生かせるまちづくりだと私は確信しています。もちろん、これは、中心市街地以外、郊外に住まう事を否定するものではありません。松山の北側にも、南部にも、東部にも、西部にも素晴らしい地域資源があります。また、そんな地域を結ぶ、郊外電車、バス、JRがあるのも松山の特徴です。
三津浜地区でも、地域住民が主体になって地域資源を磨き、まちを元気にしています。
三津浜地区については、小説を生かしたまちづくり『坂の上の雲』フィールドミュージアム構想のサブセンターゾーンの一つに位置づけられています。
具体的には三津浜の食文化のブランド化を推進するため昨年2月、第1回えひめご当地こなもんサミットをアイテム愛媛で開催し、愛媛県内でご当地こなもんグルメを提供する13団体が出展しました。2日間で延べ約17,200人の来場がありました。
7月から8月の土曜日には、地元の団体が水産市場で「シーフードバーベキュー」を開催され、予約で200名の定員が満席になる日も有り、好評をいただいています。
また、三津浜地区は、かつては、物資の集積・流通の拠点として」栄えた港町でした。戦災にあわず、今でも近代的建築物や町家など風情ある町並みが残っています。
三津浜にぎわい創出事務所「三津ハマル」では、三津浜地区の空き屋や古民家などの情報を基に「町家バンク」で所有者と入居希望者のマッチングをしています。平成25年~27年12月までに14件が成功しました。
ここで熊本市の「上乃裏(かみのうら)通り」を(画像で)紹介します。
ここは、20年ほど前までは、老朽化した民家が立ち並び、人通りも少ない路地裏でした。今では、100軒以上の町家が再生され、活気ある商店街に生まれ変わっています。古民家はかつての繭(まゆ)蔵を改装したお店で創業当時(22年前)はトタン屋根でした。現在ケーキ屋さんです。
こちらは、レストランです。(約15年前に)築100年以上の旅館を6つのテナントが入る複合商業施設へ改装されました。
三津浜でも昨年11月、古建築を改装した「三津浜ハンドメイドマーケット」がオープンしました。大正時代に建てられ使われなくなった旧濱田医院(産婦人科)を改装し、「小さなデパート」として12部屋を1部屋ずつ貸し出しています。
まちづくりは、継続して取り組むことが大切です。
今年も、みんなでまちづくりをいたしましょう。
現地・現場を大切にします。市民目線を大切にします。
困難なことに出会っても、前向きに。「幸せ実感都市まつやま」を目指して、今年も誠実に仕事を積み上げていくことを、私、野志克仁、お誓いし、新年にあたってのご挨拶といたします。
今年もよろしくお願いいたします。
(文責:野志克仁後援会事務所)
